「あしたのオープンソース研究所」について
"Our vision of the possible and the feasible is so restricted by industrial expectations that any alternative to more mass production sounds like a return to past oppression or like a Utopian design for noble savages. In fact, however, the vision of new possibilities requires only the recognition that scientific discoveries can be useful in at least two opposite ways. The first leads to specialization of functions, institutionalization of values and centralization of power and turns people into the accessories of bureaucracies or machines. The second enlarges the range of each person's competence, control, and initiative, limited only by other individuals' claims to an equal range of power and freedom." Ivan Illich, Tools for Conviviality, 1973
多くの人にとってすでにソフトウェアは、きちんと機能して当たり前の生活の退屈な背景となっています、ちょうど道路や水道がそうであるように。
ですが道路や水道と比べるとこの道具の歴史はまだ始まったばかりで、こうしている間にもこの道具が社会に提供するものは少しずつ変化し続けています。道 路や水道が世界中に普及するのには長い時間と大きな投資が必要ですが、ソフトウェアはそれら既存の道具とは比較にならない短期間と低コストで世界中に小 さな変化を提供します。そして、小さな変化が積み重なって、社会の側も後戻りできない変化をとげつつあるのが現代です。言い換えれば、個人が一夜にして 世界を変えるという夢物語が笑い話ではないのがソフトウェアという道具のかつてない特徴です。
そのような<革命>は、どこかの国で生まれた「救世主」がもたらしてくれる贈り物のようなものだと多くの人は考えますが、その救世主は一人で世界を変え られるわけではなく、「ユーザー」の支持を得てはじめて救世主となることができます。救世主を作るのは名もない多くのユーザーです。すなわち、ソフト ウェアの未来を選択し、その結果として社会の未来を左右するのは、私たちひとりひとりのユーザーです。だから、ユーザーがソフトウェアをどのような道具 として理解するのかというテーマは結果的に社会の未来を左右するほど重要なテーマです。なぜなら、その考え方次第でソフトウェアは支配の道具にもなれば 共有の道具にもなるからです。ソフトウェアが支配的な道具として機能することを許す社会は支配的特徴を強めるでしょう。救世主だと思ったら実は独裁者 だったという苦い経験は歴史においてはありふれた話です。
私たちがここで考えようとするテーマは「オープンソース」です。私の理解では、オープンソースという思想はソフトウェアが支配のための道具となることを 防ぎ、共有のための道具へと成熟させるための、人類の継続的な試行錯誤のひとつです。
「あしたのオープンソース研究所」では、世界で毎日新しく提供され続けている無数のオープンソースソフトウェアの中から、私たちが有意義だと感じたもの を選び、毎月そのドキュメントの枢要部分を日本語に翻訳して日本のユーザーに紹介していきます。日本語に翻訳することで、より多くの人がそのソフトウェ アについて知ることができ、選択肢のひとつとして検討できるようになるでしょう。その結果としてオープンな選択肢が増えることが、日本の社会にとっても また世界にとっても望ましいことであると考えています。(編集人を代表して 河野弘毅)
「どういったことが実際に可能なのかという点での私たちの想像力は、生産主義的な期待によってひどく制限されているので、よりいっそうの大量生産にとっ て替る途は、どのようなものであれ、過去の抑圧への逆もどりのように、あるいは、高貴な野蛮人のためのユートピア的計画のように聞えてしまう。しかし実 際には、新しい可能性を思い浮べるには、科学上の発見は少なくともふたつの相反する利用のしかたがあることを認識するだけでいいのだ。ひとつのやりかた は、機能の専門化と価値の制度化と権力の集中をもたらし、人々を官僚制と機械の付属物に変えてしまう。もうひとつのやりかたは、それぞれの人間の能力と 管理と自発性の範囲を拡大する。そしてその範囲は、他の個人の同じ範囲での機能と自由の要求によってのみ制限されるのだ。」イヴァン・イリイチ『コン ヴィヴィアリティのための道具』渡辺京二渡辺梨佐訳
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